2021年3月、クラウドファンディング「数学マップ」、114人の方々から334,500円をご支援頂き、人生マッププロジェクトスタート!

830の社会人生活_6_多数決は正解なのか

考察

多数決は正解なのか

ディスカッションを行う中で、830は常に多数決は絶対にやめようと言ってきました。
多数決は多くの人がいいと思う選択肢を選び取るだけであって、決して本質的に優れた選択肢を選び取るものではないから。多くの人がいいと思うものって、むしろコモディティ化された選択肢でしかなくて、むしろ価値が低いことが多い。
多数決をするくらいだったら、少数決する方がマシだというのが830の意見です。

しかし、ディスカッションをしていると、すぐに多数決に持っていこうとする人がたくさんいます。みんなの意見をとりあえず聞いてみようみたいな形で、手を挙げさせるのです。
すると、どうなるか。それまで対等に議論していたはずなのに、自分が多数派であるということを認識すると、多数派は一気にマウントを取ってくる。本質的な議論なんてそっちのけで、みんながこういっているんだからということばかりを主張してくる。本当に不毛なディスカッションが始まるのです。

多数決の代わりに830がファシリテートするディスカッションでは、最終意思決定者を設定します。最終的に選択肢に正解も不正解もなくて、感性による部分が大きい。だから、複数人の感性をぶつけ合ったところで何も発展しないので、最終意思決定者がいいと思った選択肢に全面的に従うという共通認識の下でディスカッションを進行する。最終意思決定者に選んでもらうために自分の意見をプレゼンするという仕組みでディスカッションを行いました。

しかし、そういった場面でも、やはり「多数決に意味がない」という認識が甘すぎるために、多くの最終意思決定者は多数派の意見を選びがちです。多くの人の意見を吸い取った方が無難だろうと考える。
それでは全く意味がないんです。それなら多数決をしているのと同じ。多数派はこっちの方が賛同している人が多いのだからと圧力をかけてきますが、最終意思決定者はもっともっと選択肢の本質を見ないといけない。多数決を取ろうとしている時点で、論理的な根拠がないんです。そんな頼りない意見、たとえ多数派であったとしても切られて当然なのです。

今回の研修を通して、改めて多数決という文化が深く根付いてしまっていることを実感したとともに、多数決のデメリットをまざまざと感じることができました。絶対に多数決は無くすべきだと830は思います。そして、最終意思決定者を設定すべきだと。
全ての人が多数決の無意味さに気付けないと、最終意思決定者を用いたディスカッションを行うことはできません。
最終意思決定者も考え方を改める必要がある。選択自体になんて意味はなくて、その選択を正解にするか、不正解にするかは、選択した後の行動が決めることです。責任を感じる必要なんてなくて、なんとなくいいなと思った方を選べばいいんです。
そして、最終意思決定者が選択を下せば、その選択にフルコミットするという共通認識も大切です
多くの人は、意見が通らなかった人はやる気を失くしてしまう考えているでしょう。だから、多数派を選んでおく方が無難だと。しかし、それは多数決を取り入れているからです。
身を持って感じたことですが、多数決の議論で負けた後って、本当にやる気がなくなります。だって、最後の方の議論は、「みんなこう言ってるからそうしようよ」みたいな感じで諭されて、自分だけがわがまま言ってるみたいな雰囲気になっていく。「多数決で負けたんだから、観念すれば」みたいな雰囲気が漂い始めるんです。そういった雰囲気の中で多数派は、少数派が自主的に白旗を挙げるように仕向けてくるんです。そんな形で終わった議論の後に、相手の選択しにコミットすることができますか。
最終意思決定者に全権を委譲していれば、自分の意見が通らなかったとしても、自分のプレゼンが不十分だった、自分の力不足だったと切り替えることができる。そして、中立的な立場にある最終意思決定者の下した選択を正解にしようとコミットすることができると830は考えます。

長くなりましたが、結論として、多数決はやはり不毛であると結論付けます。
最終意思決定者という、中立的な存在を設定することで、よりよい意思決定を行うことができるのです。

フォローお願いします!

2件のコメント

自分の意見を通したいなら、最終決定者になるのがいいよね。
でも、それって、皆んなが今までの、仕事、付き合い、功績など、様々な要因から選ばられ、その人達皆んなが決めると思います。
その人に、意見を言うのも、又、皆んなで話し合って決めて行かないと、まとまらない。
皆んなに、一人でも多くの人に、自分の意見をちゃんと解ってもらう事が大事かなぁ?

多くの人は、サンクコストに溺れる
サンクコストを歴史とか、文化とかみたいにきれい事にしている内は、常識から抜けることはできないし、イノベーションは生まれない
僕はそう思います

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です