少数派であることを誇りに思う
研修後半になって、ほとんど多数決みたいな形で、みんなの意見を取る場面が何度かありました。すると、830の意見が少数派になっていることが分かったんです。
これだけ多数決は不毛だと言っていても、やはり少数派になると傷つきます。自信も薄れてしまう。
今思えば、まだまだ830自身も多数決という文化から抜け出し切れていないのだなと思います。
そして弱気になって、自分の意見の方が確実に正しいと思っていても、「じゃあ、そうすれば」みたいな形で一歩引いてしまう。そういう形で多数決に敗北する場面が何度かありました。
しかし、こうやって振り返っている中で、自分が少数派であったことをうれしく思っています。少しずつではありますが、マジョリティ側から抜け出すことができているのだと。
マジョリティに埋もれることほど悲しいことはありません。希少性にこそ価値がある。
日々の鍛錬の中で、少しずつでも成長できているんだと感じることができました。
一方で、成長できていたとしても、その希少性の高い価値観が淘汰されるのであれば何の意味もない。希少性の高い意見は通してこそ価値がある。
民主主義の負の遺産である多数決の文化が根付くこの社会の中で、いかに自分の希少な意見を通していくことができるのか、それが今後の課題です。
結論、少数派であればあるほど、自分の意見を誇りに思うべきだという考えに至りました。
どれだけ本質的じゃない意見をぶつけられたとしても、ヒヨることなく立ち向かっていきたい。
希少な意見にこそ価値がある。希少な意見を持つものは、それを通すところまで責任を持たないといけない。
多数派に負けたのであれば、自分も多数派の意見を持っていたのと変わりはない。
少数派の意見を持ち、その意見を通す。それが今後求められるスキルだと830は考えます。
まとめ
今回は、グループディスカッションの中で考えさせられた多数決について記事を書かせて頂きました。
結論、多数決は不毛です。民主主義の負の遺産です。
希少な意見にこそ意味がある。
希少な意見を通して初めて価値が生まれる。
希少な意見を持ち、それを通せる人材になりたい。
自分の意見を通したいなら、最終決定者になるのがいいよね。
でも、それって、皆んなが今までの、仕事、付き合い、功績など、様々な要因から選ばられ、その人達皆んなが決めると思います。
その人に、意見を言うのも、又、皆んなで話し合って決めて行かないと、まとまらない。
皆んなに、一人でも多くの人に、自分の意見をちゃんと解ってもらう事が大事かなぁ?
多くの人は、サンクコストに溺れる
サンクコストを歴史とか、文化とかみたいにきれい事にしている内は、常識から抜けることはできないし、イノベーションは生まれない
僕はそう思います