ゆとり世代は厳しい指導をするとすぐに仕事を辞めていく。パワハラ、セクハラ、モラハラと上司の指導法にはたくさんの制約が明文化されてきた。現代の若者にはどんな指導をしていくべきなのでしょうか。
- 人は弱いだけの存在じゃない
- まとめ
人は弱いだけの存在じゃない
私はこれまで非常に言いにくいことを言わなければならない局面にも接しましたが、わかったことがひとつあります。
それは「人はけっして、弱いだけの存在ではない」ということ。これまで私に対して「私はナイーブなので、どうか厳しくしないでください」と頼んできた部下は皆無でした。
みんな、上司にはどう思うか正直に教えてほしいと訴え、たとえ、踏まれても花を咲かそうと一生懸命変化を求めます。率直な話し合いこそ相手を尊重する証しです。
「フェイスブック」では「フィードバックは宝」と書かれたポスターが社内のありとあらゆる場所に張ってあります。
「ゆとり世代は打たれ弱いから丁寧に扱わないたいけない。厳しい指導は禁物だ。」と考える人は多いだろう。
830はそれが全てだとは思わない。ゆとり世代だって多くの人は、成長していくために率直なフィードバックを望んでいるし、間違った時にはしっかりと指摘して欲しいと思っている。
しかし、その中で手を上げるなんてことはあってはならないし、人を貶めるような発言があってならない。そんなことは人として当たり前のことだ。それはゆとり世代だからとかの話じゃなくて、人間ならば当然だ。
今まではそういう非人道的な部分までが容認されてきた。現代はネットやSNSのお陰で、そういう非人道的な行動はすぐに摘発されるようになった。やっと世界があるべき姿になっただけだと考える。
テクノロジーが未発達で、簡単には悪事や犯罪を隠蔽できていた時代を懐かしみながら、「あの時代は良かった」と当たり前のように言う人たちの話を聞いて、共感できるはずがない。「ばれないからやってもいい」という発想で現代の若者は生きていない。やってはいけないことは、ばれる・ばれないなんて関係なくやってはいけない。そんなこと当然だ。
感情に任せ、声を荒げて人を叱責する上司の下で誰が働き続けたいと思うのだろうか。人の指導法として暴力しか持ち合わせていないような能のない上司に誰がついていきたいと思うだろうか。誰がそこで何年も時間を費やすだろうか。そんなの辞めて当たり前だ。広い世界の中で、働く場所はいくらでもあるのに、どうしてそんな所で働く必要があるのだろうか。若者は打たれ弱いから辞めていくのではなく、非人道的な環境だから辞めていく。ただそれだけの話である。
しっかりと指導し、部下を育てたいのであれば、愛情を持つべきだ。本当に部下のことを想い、部下の幸せを願い、それが部下に伝わっていれば、ゆとり世代だろうと何だろうと、部下は簡単には離れない。
部下に対する愛情を正しく表現するために、日々勉強を重ねるべきだ。本を読めば、先人の苦労や葛藤に触れることが出来る。書籍を通して現代の若者の価値観を少しでも理解することが出来る。そこから自分の上司としてのあり方を考えればいい。
優秀な上司であり、人として尊敬される存在であったならば、信頼関係が生まれ、強固な絆で結ばれることだろう。