- 教師の知識の物売り
- まとめ
教師の知識の物売り
かれらは教師というものをこう考えている、この男は僕にかれの知識や方法を僕のお父さんのお金と引き換えに売っているのだ、ちょうど野菜売りの女が僕のお母さんに甘藍を売るように、と。そして、それ以上は別に考えない。(中略)かれから「世界観」だとか、かれらの生活の基準となるべき原則だとかを売ってもらうことができるなどとは夢にも思っていないのである。(中略)
満堂の学生諸君!諸君はこのようにわれわれに指導者としての性質をもとめて講義に出席される。だが、そのさい諸君は、(中略)およそいかなる人生問題についても「指導者」であることを許されていないということ、を忘れておられる。
アメリカの学生は、教師はお金の対価として知識を提供する存在だと考えている。
「かれらは伝統や社会的地位にたいしても敬意を払わない。かれらが重んじるのはただ人びとの個人的業績だけである。」と書かれている。
それこそが民主主義であり、だからこそ教師に対してもそれだけ割り切った考え方ができる。
しかし、その他の国では教師と指導者を混同しがちだと述べられている。
大学の授業や様々なセミナーにおいて、多くの人は素晴らしい考え方や生き方を教示してもらおうと考えている。
しかし、教師というものはあくまで知識を提供するものであって、生き方や考え方を提供する存在ではない。
日本では学校での宗教活動は禁止されており、ある方向に学生を進めようとする指導者的振る舞いを行ってはいけない。しかし、多くの高校でも上のような状況になっている。
高校三年生になって、どこの大学を受けよう、どこに就職しようと不安になると、学校の先生に相談する。
しかし、学校の先生というのは知識を教える存在であって、決して優れた指導者であるとは限らない。いい教師であることと、いい指導者であるところには何ら関係性はない。だからこそ、学校の先生の意見を鵜呑みにして人生の選択をするというのは全く持って間違いである。
自分の人生の選択をするのは自分自身しかいない。その選択を他者に委託するというのは、自分の人生を他者に捧げているようなものである。
自分で選択するのは誰しも怖い。
全ての責任が自分に降りかかる。
しかし、それこそが人生なのではないだろうか。
自分は何を望み、どこを目指すのか。
今一度自分を見つめ直してみたいものである。
まとめ
今回は教師と指導者という所について考えてきました。
教師に限らず、親も上司もそうだろう。
自分より長く生き、経験は自分より豊富かも知れない。しかし、だからといって優れた指導者であるとは限らない。
自分を知り、自分で考え、自分の納得のいく選択をする。
自分の人生を自分のために生きていくためにはそういった判断力が不可欠である。
自分を知り、自分で考え、自分で選択する。
それを830は俯瞰視力と呼ぶ。
今にとらわれずに広い視野で物事を考え、自分のいるところと、自分の目指すところを俯瞰的に見ることによって、自分なりの選択をすることができる。
そんな俯瞰視力を養うツールとして、今回のクラウドファンディングでは「数学マップ」を製作した。
ぜひ多くの高校生に届けたいと考えておりますので、ご支援賜れますと幸いです。
宜しくお願い致します。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
本記事はあくまで830の主観を織り交ぜた上で、書籍の紹介をさせて頂いております。書籍との食い違いが生じてしまっている場合もございます。ご理解頂けますと幸いです。
正確な情報については、是非原本をご購入の上、お読み頂けますよう宜しくお願い致します。
また、2月よりクラウドファンディングを企画しております。
興味を持って頂けましたら、是非ご支援・ご協力・拡散のほど、よろしくお願い致します。