今回は記念すべき100記事目です。
少しずつブログを書くのも慣れてきましたが、まだまだ未熟者です。
「こうした方がいいよ」「こういうのが読みたい」というコメントを頂ければ本当にうれしいです。
毎日午後10時に記事を挙げています。10分程度で読める記事となっていますので、毎朝の日課として読んで頂ければ幸いです。830自身を鼓舞するためのメッセージも多いのですが、読者の皆様の自己啓発の助けになれればうれしいなと考えています。
今後とも宜しくお願い致します。
今回は「リーダーの教養書」の中で紹介されている、「宗教ってなんだろう」という一冊を紹介させて頂きます。
100回目記念の記事で、宗教を取り上げるというのも何かの縁かなと感じます。
まず宗教と何なのか、この本で紹介されているものを簡単に説明させて頂き、830の考え方も合わせて紹介しようかなと思います。
宗教と聞くと、なんとなく危険な感じがしませんか。
なんとなく敬遠するのではなく、しっかりと理解した上で、どのようなポジションを取っていくのか、考えてみてはいかがでしょうか。
- 宗教とは何か
- 830の考える宗教
- まとめ
宗教とは何か
宗教と聞くと、キリスト教・仏教などが頭をよぎるのではないでしょうか。イスラム教やオウム真理教などを思い浮かべると、少し怖い感じがする人も多いかもしれません。
日本人であれば、「私は無宗教です。」と答える人も多いでしょう。
しかし、宗教というのはそういった特定の教義に従うことだけを指すのではないと語られています。
無宗教と考える人も、実は宗教の要素を兼ね備えていることが多いと。
例えば、あなたはご飯を食べる時、「いただきます」「ごちそうさまでした」と唱えるのではないでしょうか。それは何に対して発せられる言葉なのでしょうか。「食材の命に感謝」というような、正体のはっきりしないぼんやりとした存在を考えるというのは宗教的な発想です。
葬儀に行って焼香を上げることも少なくないでしょう。それは何に対して行っているのでしょうか。科学的には、亡くなった人に声は届きません。「死してなお魂は生きている」という考えも宗教的な発想です。
ある人は靴を捨てる時に「お疲れさまでした」と手を合わせるそうです。あなたは床に落ちている本を踏めるでしょうか。なんとなく避けて歩くのではないでしょうか。靴や本に対して畏敬の念をもつ。こういった「ものに対する感覚」も宗教的な感覚と言えるでしょう。
宗教と聞くは、神や仏を信じ、特定の宗派に入って、教義に従って生きていくというイメージを持ちがちです。しかしそういったものだけではなく、科学的には説明できないものを信じること自体が宗教なのです。
上記に挙げた例を考えるだけでも、ほとんどの人が当てはまるのではないでしょうか。それくらい宗教は私たちの生活になじんでいるのです。
だからこそ、宗教について勉強し、正しい理解をもって、向き合っていくことは必要不可欠であると感じます。
しかしながら、この考え方は広く使われる<宗教>という言葉とは合わないかもしれません。そこで著者は、<スピリチュアリティ>という言葉を紹介してくれています。
<宗教>は「聖なるものをめぐる観念や実践の体系」とここでは定義されています。こういう時はこうしなさい、こういうことはしてはいけませんといった、体系化された教義を持つものを<宗教>と考えています。多くの人が考える<宗教>そのものです。
一方で、<スピリチュアリティ>は「聖なるものをめぐる観念や実践や経験あるいは資質」と定義しています。少し難しいですが、<宗教>と<スピリチュアリティ>の違いは、体系化された教義があるかどうかです。
日本人の多くは、特定の宗教には所属しておらず、従うべき教義というものは持ち合わせていないでしょう。しかし、科学的に説明できるもの以外は何も信じないかというとそういう訳ではありません。人生を歩んでいれば、神様に祈りたくなったり、万物に感謝したり、葬儀を行ったりと、非科学的なものにすがりたくなる時も必ずあります。
現代では、科学が全てを説明してくれるかのような論調が多いですが、科学で証明できないこともたくさんあります。非科学的なものにすがるというのは何も悪いことではありません。各々が、各々の経験の中で、信じると決めた非科学的なものの総称、それが<スピリチュアリティ>です。
<スピリチュアリティ>の説明を聞くと、なんとなく受け入れてもらえるのではないでしょうか。
<宗教>を理解する上で大切なことは、科学が全てを説明できるわけではないという現実を受け入れることです。科学至上主義でいると、宗教が非常に危ういもののように感じられてしまうでしょう。しかし、非科学的なものも、世界を受け入れる上で大切だということが理解できれば、<宗教>の必要性に気づき、受け入れられるのではないでしょうか。
<宗教>とはつまり、非科学的なものをどうとらえるかという考え方の流儀なのです。
スピリチュアリティという形で、非科学的なものを受け入れられるようになったならば、宗教自体も受け入れられるようになっていくのではないでしょうか。神や仏といった宗教も理解できるのではないでしょうか。
宗教に入ることが必要だと言っているわけではありません。しかしながら、宗教に所属する人の考え方を理解するためには、宗教を受容することが必要だと思います。
宗教に所属する人は世界人口の9割を占めているのが現状なのです。