今回は、宗教の中の考え方を二つ紹介しようと思います。
「愛」と「家族」に関するものと真理の力というものです。
少し理解しがたいものになるかもしれませんが、一つの考え方として、ぜひ参考にしてみてください。
- 愛とは。家族とは。
- 真理の力
- まとめ
愛とは。家族とは。
実は儒教的にも仏教的にも「愛」はそのままプラスではないですね。くっつきすぎる、執着して自分のもののように思う、という風に考えられます。
儒教・仏教
家族を守ることはそれ以外のものを差別することにつながりかねませんし、現代ではとくに家族をもつから組織に従属したり、財産確保に努めなくてはならず、子どもを養うためにはいやな配偶者から離れられず、なんでも我慢しなくてはならない場合もある。
トルストイ教
「愛」や「家族」と聞くと、多くの人はポジティブなイメージを抱くのではないでしょうか。
しかし、多くの宗教では愛は煩悩の一つであり、家族は暴力の始まりだと考えられることがあります。ブッタやガンジーといった偉人たちも、妻子を捨てて出家を果たしたようです。
「愛や家族が暴力の始まりだ」とだけ聞くと、いい気持ちはしないかもしれません。
しかし、動物を考えるとそうですが、縄張り意識のために戦う姿、子どものために戦う姿を、テレビなどでもよく目にするのではないでしょうか。
また、暴力に限らず、愛や家族によって生み出される苦痛もたくさんあります。家族を守るためにストレスから逃げられない状況に追い込まれている人は多いのではないでしょうか。
これらを考えると、「愛」や「家族」というものは、常にポジティブなわけではないのかもしれません。
しかし、多くの宗教では「愛」というものが常にネガティブに捉えられるわけではありません。
キリスト教の「隣人愛」というものは神の愛に通じるものとしてとらえられており、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
宗教の中で「愛」がポジティブに捉えられる時、多くの場合は「普遍的な愛」を指しているようです。全ての人を同じように愛すること、仲間意識や差別を完全に排除した「平等な愛」がポジティブに捉えられているようです。
宗教は大前提として、差別を生むことを否定します。だからこそ、家族や仲間といった、差別を生み出してしまうような「愛」はネガティブに捉えられているのです。
だからと言って、全ての人が家族をもつな、仲間意識をもつな、と言っているわけではありません。煩悩を完全に排除し出家を果たすことが、絶対的な幸せであるという訳ではありません。こういう考え方もあるのだということを踏まえた上で、自分の愛を見直してみてください。
行き過ぎた愛は執着となり、暴力の温床となる。児童虐待やDVといった社会問題も、愛から生まれていることに疑いの余地はないでしょう。