今回も「ソクラテスの弁明」を参考に記事を書いていきます。
お金のために生きるのか、お金のためなら不正もやるのか。
人間として正しい道とは何なのか。
ソクラテスの生き様をご覧ください。
- 何のために生きるのか
- 不正
- まとめ
何のために生きるのか
世にもすぐれた人よ、きみはアテナイ人であり、知と強さにおいて最も偉大な、最も名の聞えた国の一員でありながら、金銭をできるだけ多く得ようとか、評判や名誉のことばかりに汲汲としていて、恥ずかしくないのか。知と真実のことには、そして魂をできるだけすぐれたものにすることには無関心で、心を向けようとしないのか。
お金や名声が欲しい人はたくさんいるでしょう。それをバロメーターにして仕事と向き合うということに対しても否定はしません。しかし、それだけで終わってしまっては非常に危うい。
たくさんの書物がある中で、少し読書をするだけで、その考え方に否定的なものがたくさんあることに気付くから。
読書しなければいいのかもしれませんが、読書をしなければ成功することはできません。しかし、読書をしていると、お金が全てじゃないということに気付かされる。
だからこそ、お金ではない何かのために仕事をするべきだと830は思います。
どれだけお金を稼いだところで、「お金を稼いで何がしたいのだろうか」と一度考えてしまえば、やる気は崩壊してしまう。お金はあくまで手段でしかない。
こんなことを考えることもなく、一生ラットレースにはまっているのもそれはそれで幸せかもしれませんが、ハムスターホイールを走り続けるハムスターを見て、こうなりたいと思いますか。一度その状態を客観視してしまうと、もう二度とそこに戻ることはできない。
「わが愛する友よ、我々が死ぬ時には、我々が生まれた時より世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
不正
不正を行うことは、不正を行う当の者にとって、害悪(悪いこと)であり、醜悪(醜いこと)である
ソクラテスは、不服な裁判によって死刑判決が下されます。
死刑を待つ間、プラトンはソクラテスのもとに行き、脱獄を提案するのである。しかし、ソクラテスは、裁判が不正なものであったとしても、その判決に対して不正を行って逃げるというのは正しい道ではないとプラトンを諭し、死刑を受け入れました。
不正は、不正を行う当の本人とっても害悪である。その不正によって、生き長らえたとしても、不正を行ったという過去とともに生きていかないといけないのだから。
人間として正しい道を踏み外し、一時の富を築いたとしても、同時に追うことになる負債は非常に大きい。目先の利益に目がいって、不正を犯してしまうことがあるかもしれない。しかし、人生トータルで見れば、必ずマイナスになって返ってくる。
罪悪感に苛まれながら生きていくくらいだったら、人間として正しい道を進んだ方がいい。どんな理由があったとしても不正は行うべきではない。
愚かな人間というのは、長期的な視点に欠ける。短絡的で、目先の利益を優先する。
そういった観点からも、投資などは非常に役立つ知恵を与えてくれるだろう。長期的に資産運用することで、安定して収益を上げていくことができるから。
長期的にものを見る力。俯瞰力。これは大いに私たちを手助けしてくれるだろう。
まとめ
お金や名声のためではなく、人間として正しい道を歩んでいくことを選んだ哲学者ソクラテス。
参考になる点はあったでしょうか。
どんな理由があったとしても、人間としての道を踏み外すべきではありません。
不正を行うというのは、短絡的で目先の利益しか見えない愚かな人間がする行為です。
長期的な視野を養い、より高尚な選択をしていきましょう。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
本記事はあくまで830の主観を織り交ぜた上で、書籍の紹介をさせて頂いております。書籍との食い違いが生じてしまっている場合もございます。ご理解頂けますと幸いです。
正確な情報については、是非原本をご購入の上、お読み頂けますよう宜しくお願い致します。
今後も宜しくお願い致します。