情報過多に対する問題意識は大学自体から持っていました。自分で気づいたのは大学の卒論の発表を振り返った時ですかね。何でも情報を詰め込めばいいってもんじゃない。情報の取り扱いで大切なのは、取捨選択です。改めて情報の取捨選択に意識を向けるきっかけになれば幸いです。
- 卒論で学んだ情報の取捨選択
- 情報過多に対する問題意識
- まとめ
卒論で学んだ情報の取捨選択
まず卒論を通して学んだことについて紹介します。
830は東京大学に通っていたので、ざっくりと最初の2年間は一般教養の勉強を、後半の2年で専門の勉強するカリキュラムになっていました。さらに、長期休みなどを含めると、専門の研究に携わる期間は大体1年といったところでしょうか。しかしながら、1年という期間でもたくさんの実験を行うことはできますし、たくさんのデータが得られます。その一方で、卒論発表で与えられる時間は15分。1年間集めてきた情報を15分でまとめるというは至難の業なんです。正に情報過多と言って過言はないでしょう。
さらに、1年間苦しい思いをして集めてきたデータ、導き出した結論というだけに、できるだけ発表に取り入れたいと考えてしまうのが人の性というものです。830もできるだけたくさんの情報を盛り込んで、15分間きちきちのプレゼン資料を作り上げ、本番では早口で話す。そんな見ていられないような発表をしていました。
プレゼンというのは、自分の努力を見てもらうためにやるものではなくて、価値ある情報を提供するために行うものです。にも関わらず、自分のやったことは全て見てもらいたいというような態度でプレゼンに臨んでしまっていた。それではいいプレゼンになるはずもありません。
聞いている人は情報過多の中で意識朦朧となりながら、「結局どこが大切だったんだろう?」という印象だけをもってプレゼンを後にする。
当然のことですが、いざプレゼン資料を作る立場になると、簡単にこの罠にはまってしまいます。情報盛りだくさんの資料を作って、自己満足に浸る。プレゼン自体が目的になってしまって、価値あるプレゼンはできない。
プレゼンにおいて大切なことは、プレゼンの目的は何なのかを常に考えることだ。聴衆に何を伝え、どんな行動を起こさせたいのか。そこを常に考えていないといけない。
そして、多くの場合、その目的を達するために必要な情報というのは、想像以上に少ない。手元にある情報が多すぎるという現状にあることが多い。だからこそ、情報の取捨選択というのは何よりも大切です。
これはプレゼンに限らず、ディスカッション・情報共有という社内の多くの場面や、スポーツの練習・お店選びといった日常の多くの場面にも共通している部分です。現代は明らかに情報過多の世界です。このことは巷でもよく言われることだと思いますが、その現実をしっかりと受け止め、行動に落とし込めている人はどれだけいるでしょうか。
今一度自分を見つめ直す時間を設けてもいいかもしれません。
本当の様な、嘘の情報とかにも気をつけて行かないと駄目ですよね❗️
自分でちゃんと選べる様に頑張ります。